6歳2歳


by go-kayoko
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しぬということ

今日はヘビーな内容なので、面白くないかも。





昨日、ゆうたと散歩していたら、あるところで虫かごに沢山のキアゲハの
幼虫が入れられたまま、中のパセリの葉はすべて枯れて、乾燥し、茶色くなっていた。
幼虫は8匹くらいいるのに、全くエサになるまともな葉がないし、中には死んでしまって
ひからびている幼虫もいる。なんとか生きている幼虫もえさが無いから、
小さいサイズのまま、大きくなっている。

ちょっと腹が立ってしまった。アゲハの幼虫は、しおれた葉っぱは食べない。
最初に虫かごにえさを入れたまま、ほったらかしなのだと思う。
ほったらかすなら、入れなければいい。
こんなところに入れられなければ、死ぬこともなく、ちゃんと蝶になれたかもしれないのに。
勝手に出そうかとも思ったけど、それも良くないので、
近くにあった新しいパセリの葉を入れておいた。

最近、すぐに「死ぬ」という言葉を使う人が、子どもも、大人も多いんじゃないかと思う。
父ちゃんも時々、「ゆうちゃん、そんなことをしたら死んじゃうよ」って言う。
たとえば、ゆうたがなかなかトイレに行かないときに、「膀胱が破裂して、死んじゃうよ」とか。
本当に親が注意を聞かなければ死んでしまうような事なら、何も感じないけど、
私はやっぱり、「死んじゃうよ」は、本当に必要なときだけに言うべきだと思う。

急に車道に飛び出そうとしたら、そのときこそ、真剣に「車が来たら、死んでしまうのよ」と
しかるべきだし、高いところから下に物を落とそうとしたら「下に人がいたら、死んでしまうの」と
本当に本当に「死んでしまうくらい危ない」ときに使うべきでは?

子どもが、他の人のことを、本気でなくても「死ね〜」とか、言うのを聞くのもすごく嫌だ。

ゆうたも最近時々、「死ぬ」という言葉を使うので、気になっていた。
死ぬことがどういう事か、わかっていなくて、死んでしまった虫のことを
「また、元気になるね」と言っていたりするので、深い意味は無いのだけど。
まだまだ、年齢的に難しいけど、「死ぬ」ことがどういうことか、機会があるごとに伝えたい。

今日、ゆうたに「ゆうちゃん、母さんが死んでしまったらどう?」と聞くと、
真剣に「嫌だ」と言う。「死んじゃったらどうなるか知ってる?」と聞くと
「わからん」とのこと。
「母さんがもし死んじゃったら、もう、ゆうちゃんとは絶対にお話しできないの。
お顔も見れないの」というと、「ふ〜ん」と言っている。
「他の人もそうなの。お友達も もし、死んでしまったら、もう会えないの。
すごく悲しいことなの。だから、人に「死ぬ」とか、言ったらダメなのよ」というと
神妙に「わかった」と言っていた。

ついでにいうと、私は個人的には、子どもをお葬式に連れて行くことはいいことだと
思っている。(乳児は別だが)特に、子どもが生前の姿を知っている場合はいいと思う。
人が死んでしまうと、どうなるのか、周りの人がどんな気持ちになるのか、
知るいいきっかけだと思う。

最近小、中学生の中の何割もの子どもが、「人は死んでも生き返る」とか「生き返るかも知れない」と思っているらしい。恐ろしい。
格闘ゲームでも、死んだキャラクターがよみがえる。
テレビでもあるドラマで刺されて、死んだはずの俳優が、他のドラマに元気に出てくる。
子ども達がそう思ってしまうのも仕方がないことなのか?
私が子どもの頃は、音だけで血しぶきは飛んでなかった思うんだけど・・・。
社会がそれならば、なおさら、親は事あるごとに、「死ぬ」ことがどういうことか
考えて、理解させるきっかけを子どもに持たせてやらないとダメかも知れない。
by go-kayoko | 2005-08-03 23:40 | かあちゃんのひとりごと